今日の訪問先の設計事務所には、3名の学生がインターンシップに来られていました。

その中の一人とお話ししたところ、

学生Aさん:「実は、中学校の野外授業で使っていた畑があったんです。そこが工事されることになって、無くなってしまったんです。どうなるかなと思っていたら、こちらの事務所で設計されたF保育園が建ちました。建てることによって、自然が無くなり嫌だなと思っていましたが、建てることによって逆に環境が良くなったと思えました。」

私も建設前の現地を見ていましたが、畑の素敵な印象よりも、むしろ敷地を囲む朽ちた外壁や隣接するドブ川など敷地のイメージは、あまり良いものではありませんでした。しかし、Aさんにとっては思い出があり、愛着のある場所であったということで、その感じ方の違いに驚かされました。また、それと同時に、2月8日に名古屋であった西沢立衛先生の講演会であった、学生Bさんの質問を思い出しました。

学生Bさん:「私は環境に対し、建築は負荷を与え過ぎていると思うのですが、そんな中で西沢先生の建築は、建築の存在感を消すことを意識して設計されていらっしゃると思うのです。そのように考えられている理由を教えて下さい。」

西沢先生:「???。。。建築の存在感を出すことを意識してやっています。建築にはメッセージがあります。そのメッセージの発し方が重要なんです。メッセージとは、人間の自由であり、人間を勇気付けたり、人々が使いたくなる、入りたくなるそうしたものが、先ほどのロレックス・ラーニング・センターなど私たちの作品には、特に特徴があると言えると思います。」

建設のみに関わらず、自動車産業をはじめ、経済活動全般が地球環境を破壊し、悪影響を与えていると嘆く若者が増えているように思います。

しかし、現代の建築家は、そうしたことと真逆の活動を行っていると思うし、学生には、いま感じているものから逃げのではなく、立ち向かって欲しいと思います。